日時 平成15年11月16日(日) 13:00〜15:30 ※毎年11月第3土・日曜日
場所 大生神社(茨城県潮来市大生)
交通 JR鹿島線延方駅より徒歩約1時間半
祭りの進行については今回も神社境内の説明板を参考に。
ちょっと長くなりますが、市の文化財誌によると次のようになっています。
巫女舞神事は毎年前夜祭,本祭と大生神社例大祭に古式により行われる。
祭儀の起源については詳細ではないが,寛政年間,斎下向(ものいみげこう)の祭 儀として伝承されており, 巫女舞神事の中でも古式の姿で保存されていて珍しい行事となっている。
当日奉仕する巫女は大生集落氏子中の7才から13才までの少女の中から11月1 日夜半, 氏子総代によってくじで決定すると同時に,夜に時を待って,当家に気付かれるよう に七五三縄を張る。
舞いは先輩によって前夜祭までに伝習される。巫女は浄衣緋袴垂髪(じょういひは かまたれがみ)とし, 右手には幣,左手には鈴を持ち舞う。
奏楽は御神楽太鼓1,笛2,太鼓1,小鼓1,大太鼓1,小太鼓1の7人囃子であ る。巫女は神前に進み正面に向かって座し, 神楽太鼓合わせて立ち上がり弊と鈴を大きく上下させながら数歩後退したところで前 進し, 元の位置に戻り,再び同様の所作を行いながら神前を一周して一座の終わりとなる。
五座ないし七座舞って終わりとなる。舞いは簡単であるが,古い様式をそのままに 残す神事として貴重な存在である。
昭和38年8月23日茨城県指定文化財となる。
観客は、すごい望遠レンズをつけたカメラマンが10人前後、業務用テレビカメラを持った人も一人いました。
地元の人もそれなりにいました。小さい女の子が多かったのは、将来巫女さん役をするからかもしれませんね。
1時少し前、祭礼が始まりました。神主を先頭に、巫女さんに赤い傘を差して、まず本殿と反対側にあるところでお祓いをします。
それから拝殿の前に向かい合って着席。向かって左側は巫女さんを先頭に祭りの神事の参加者、右側は来賓など。
ただし、右側の前から3人、献幣使(?)、鹿島神宮宮司(祝電が読まれてました)、県会議員は空席でした。
紅白の幕で仕切られてるので撮影は結構難しかったです。
司会の人がマイクで進行を説明していました。むずかしい言葉が多くてあまり分かりませんでしたが(苦笑)
まず、男性が米を載せた三宝を掲げ、後ろに米を撒きます。次に塩(?)で同じことを繰り返します。
次に奥の本殿の扉が開かれ、神主さんの祝詞があり、その間みんな頭を下げます。
それからお供えです(神饌というらしい)。司会が呼ぶと、男性が「おーーーっ」と低い声で応え、マスクをしてお供えをとりに行きます。
お供えは三宝に載せられ、本殿まで何人かでリレーして運びます。中身は、お米・餅・お酒と続いたので「やはり米どころなんだな」と思っていたら次がキジでびっくり。
そのあと魚(ニ種類?)、野菜、果物、器(何が入っているかわからず)が続きます。この間、拝殿では太鼓が打たれていました。
神饌をすべて捧げ終わると、宮司が金色の大きな幣を振ります。
2時半頃、いよいよ巫女舞が始まります。
舞う場所が狭いうえに暗く、そこに参列者が囲むように座り、さらにそのまわりをカメラマンや地元の人たちが押し合いへし合いな状態で、最初はほとんど見えずじまい。
舞と舞の間、巫女さんはずっと鈴を振って鳴らしていました。
舞は、右手に幣、左手に鈴を持ち、両手を上下させつつ回る、ごく単純なものです。
「五座ないし七座舞う」らしんですが、はじめ向こう側を向いて舞い、次はこちら側、最後にまた向こう側という感じでした。
そのうち人もばらけてきたのでなんとかましな写真が撮れました。
なにせカメラマンが多くて、いい位置を確保しないとどうしようもないですね。脚立が必需品かもしれません。
3時半を過ぎて、記念写真を撮ってひとまず終了、のようです。私はここまでで帰りました。
そういえば、司会の人や地元のひとの話では「おう」と呼んでたのですが、「おおう」とどちらが正しいんでしょうか。