小笠神社矢矧祭(やはぎさい)

日時 平成19年11月3日(金・祝)10:00〜13:00 ※毎年同日
場所 小笠神社(静岡県掛川市入山瀬)
交通 JR掛川駅よりバス「子隣」下車、徒歩約1時間



以前から掛川観光情報で気になっていたお祭り。
調べてみるとかなりの歴史があるようです。国土交通省河川局のこちらのPDFファイルより抜粋。
小笠神社の秋季大祭「矢矧祭」にむけて、大中小の矢が作られる。これを「矢矧神事」と呼ぶ。 約700年高師直の輩下、県一族(掛川市)が、小笠神社に集まり、再起を確かめ合う密議を行いそ の警戒の為、弓矢を一統の6人が当たって作っていたのが始まりで、時代は移り再起の望みも断 れ、密議は同族の慰霊祭となった。さらに年月が経ち、小笠神社の祭典と結びつき一般の住民が 参加するようになり、現在でも子孫の内の8人が矢作りを行っている。

「矢矧祭」は、神楽殿で巫女舞が奉納され、本殿で式典が行われる。式典が終わると宮司により、大矢8本が射放たれる。これは、神返しか結界作法の一つと考え、破魔矢と共通している。次に猿田彦(天狗面)を先達にして多聞神社に向かい、参拝者に1 本ずつ中矢が配られ、矢を手にした人々の長い列が続く。やがて多聞神社に到着し、祠の周りに矢をさし、多聞天さまに奉納する。祭儀が済むと小笠神社に向かって還御となり終わる。小矢はその後氏子に配られている。

小笠山入口まで行くバスは休日運休でした。仕方なく遠くのバス停から延々歩きます。
途中、10時に山のほうから花火の音が。どうやらお祭りの始まりを告げる合図らしい。

あわてて早足になりますが上り坂が続き、最後は急な石段を登って10時半過ぎに小笠神社に到着しました。
拝殿では神事の最中で、ちょうど稚児舞が始まるところでした。お稚児さんは小学生ぐらいの八人。
金の天冠に青紫の衣、黄色の帯に緋袴という色鮮やかな姿。右手に扇の先に紙垂をつけたもの、左手には鈴を持ちます。
笛と太鼓の伴奏で四人が舞います。あまりよく見えませんでしたが…

小笠神社 稚児舞 稚児舞 神輿

このあと宮司が矢を放つ…はずなのですが、順番が違ったのか観られませんでした。

続いて、稚児さんたちは拝殿の斜向かいにある神楽殿でも神楽を舞います。今度は二人一組。
舞う前に「○○さんの家内安全、交通安全を祈って神楽を奉納します」というような紹介がありました。

稚児舞 稚児舞 稚児舞 神楽殿

11時、猿田彦(天狗?)二人を先頭に出発の準備。参列者に矢が配られます。矢は竹に、紙の矢羽を付けて作られています。
神職さんや樽型の神輿などが列を作り、10分あまり山道を登ると多聞神社に到着。めいめい神社の周りに矢をさします。

猿田彦 矢 飾り 飾り
稚児 山道 多聞神社 矢を挿す

ここでも式典のあと稚児舞が奉納されます。やはり人込みでよく見えなかった(泣)
11時40分過ぎに神事が終わり、めいめいに参拝したあと元来た道を戻ります。
途中の広場では弓道をしていました。小笠神社ではダーツをやっている人がいたり、とことん矢にこだわっているようです。

稚児 稚児舞 稚児舞 幟
多聞神社説明板 弓道

小笠神社に戻ると、神楽殿でまた稚児舞を奉納していました。途中両手の採り物を平行に持ったり、真横を向いたりします。
十二時過ぎに稚児舞が終わり、稚児さんたちも記念写真を撮っていなくなってしまったので私も山を下りることにしました。

帰りの道すがら、午後1時にまた昼花火の音が。多分それが祭りの終わりだったのでしょう。

稚児舞 稚児舞 稚児舞 稚児舞
稚児舞 稚児舞 記念写真 ポスター

なんだか不思議な雰囲気のあるお祭りでした。参加者も意外と多かったです(よそ者は私だけだったかも…)

掛川タウン誌「78%KAKEGAWA」のサイト内の歴史探訪-矢はぎ祭にはこうあります。

初めの頃は、一族の子孫らが県一族の思いを「矢」に託して弓矢をつくったと言われ、近隣に分散していた一族の警戒にあたっていた人たちがつくっていたようです。その後、時は流れ一族の子孫もわからなくなり、現在では、上西郷、構江、五明、石ヶ谷の地域の信者ら6人が例年10月23日までに、大中小の「矢」を作ることになっています。そして「矢」を作った人たちは矢はぎ祭の祭典には参加をしないしきたりになっているそうです。矢はぎ祭は毎年11月2日・3日に同地区でおこなわれます。
小耳に挟んだところでは、山の反対側からこのお祭りに来る人もいるらしい。やはり謎めいた感じがしますね。

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